前の投稿:漢字「成績」の物語 ② ーその恐るべき出生ー
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最終回
長かった漢字「成績」の物語も、こちらの第三部が最終回になります。結論だけ知りたい方はこの第三章のみ読んでも大丈夫です。
そしてGoogle検索から→AIに相談の時代になった今、あまりの長さと、独特な内容に、途中そっ閉じの方が99.9%と思われるなか、第三部のここまで読んで頂いた0.1%の限られた皆様に誠に厚く御礼申し上げます。
(-人-)
本題に戻りますと、白川博士の字統によれば、成績の原義はscoreを意味するものではなく、「軍事的勝利により、賦貢の納入が規定に達すること」を成績(績ヲ成ス)といい、規定に達しないことを弗績(不績)といいました(※弗には「二つに分離」→「否定」の意味がある)
〔南史、呉喜伝〕においても、成績は軍事用語として使われています。魏晋南北朝の、南北朝期にあたります。まだ科挙が始まる前の時代です。
| 「巣尚之曰く、喜、沈慶之に隨ひ、累(しき)りに軍旅を經たり。性既に勇決、又戰陣に習ふ。若し能(よ)く之れに任ぜば、必ず成績有らんと。喜乃ち東討す。」 意訳:巣尚之「喜は沈清之に従って幾多の戦役を遂行した。生来勇敢で決断力があり、陣形作りにも熟達している。もしこの任務を任せるならば、必ずや成績(戦略的勝利)が有るだろう。」喜は東征に赴いた。 |
大事なことなので2度言います。敵を討ち破ったのち、支配層を族滅せしめ、さらに賦貢績徴収のノルマ達成をもって績を成す=成績だったのです。

軍事行動に敗れて賦貢がゼロだと敗績です。【楚辞、離騒】に「皇輿の敗績せんことを恐る」の句があります。王は軍士に績を責任としてノルマを課しているのです。生死を賭けた極限のプレッシャーです。この DEAD OR ALIVE の構造は大学入試や国家資格試験のAll or Nothingの過酷さと酷似しています。受験指導塾・予備校や教材に多額の課金をして、貴重な時間を費やし、人生を賭けて、規定合格点に達するべく勉強し、プレッシャーに耐えて、最後は運も味方につけて、やっと合格率5%未満の本試験に合格、ハッピーエンド…では終わりません。それだけして、やっと得た合格は通過点に過ぎず、次は実務上の成果が求められます。敗績=不合格になればスタートラインにすら立てません。富も名誉も時間も、すべてを失うというわけです。

周王朝 DEAD OR ALIVE の評価構造
| 戦いに勝利し、新たに領土は獲得できたか? | 賦貢の徴収は、王が課した規定に達したか? | 効果 | |
| 成績 | 〇 | 〇 | 地位 名誉 財産 婚姻 陞爵 栄達 子孫 繁栄 |
| 不績 | △ | × | 戒告 譴責 懲戒 左遷 降格 減俸 肩叩 |
| 敗績 | × | ー | 亡国 赤字 失脚 離縁 罪刑 投獄 自決 犠牲者… |
成績の変遷
時代は前後しますが周王朝と魏晋南北朝時代の間、『漢書』の中で「成績」という熟語がはっきりと使われている、例があり、参考として考績という熟語が使われる2例も挙げておきます。
① 『漢書』叙伝(班固による結びの言葉)
班固『漢書』の中で「成績」という熟語が、著者自身の先祖である班忞(はんびん)という人物の業績を叙述している段に登場します。

原文: 「考功廩祿,成績咸熙。」
書き下し文: 功を考(かんが)え廩祿(りんろく)し、成績 咸(みな)熙(ひろ)。
意味: (役人の)功績を評価して給与を与えたところ、成績(賦貢の徴収は、王が課した規定に達し)すべて光輝いた。
会戦か攻城戦といった、派手な戦争ではありませんが、成績がまさに「 戦いによるDEAD OR ALIVE の評価構造」という意味で使われています。以下を参照してください。
『漢書』巻六十九「趙充国辛慶忌伝(ちょうじゅうこく しんけいき でん)」にあるもので、具体的には前漢の名将・趙充国(ちょうじゅうこく)が、現在の青海省や甘粛省にあたる西方の辺境地域で行った「屯田(とんでん)」政策の成果を称えた一節です。
当時、先零(せんれい)羌という匈奴系の部族が反乱を起こしていました。朝廷内では「大軍を送って一気に撃破すべきだ」という強硬論が主流でしたが、70歳を超えた老将の趙充国はこれを厳しく戒めました。彼は、険しい地形と補給の難しさを完全に見抜き、兵士に農業を行わせながら国境を守らせる「屯田兵制」を提案したのです。
趙充国がその地で積み上げた具体的な仕事と、「成績」の内容は以下の通りです。
趙充国が現地で実行した具体的な仕事
- 屯田の設置と開墾:兵士を動員して、現在の青海省付近(湟水流域)の肥沃な土地を開墾し、麦などの穀物を生産させました。
- インフラの整備:反乱によって破壊されていた道路、橋、運河、城壁などの防衛施設や交通網を徹底的に修復・整備しました。
- 自給自足の補給体制の確立:軍糧(兵士の食料)を現地で完全にまかなえる仕組みを作り、中央(長安)からの莫大な輸送コストをゼロにしました。
- 心理戦と懐柔政策:無理な軍事侵攻をせず、屯田で腰を据えることで、反乱軍の「持久戦で漢軍を疲れさせる」という狙いを挫きました。さらに、降伏してきた者は受け入れる寛容な姿勢を示し、反乱部族を内部から瓦解させました。
「成績 咸熙(成績はすべて光輝いた)」が指す結果
この屯田政策は見事に的中し、漢朝に以下の絶大なメリットをもたらしました。
- 戦費の劇的な削減:兵士を養うための莫大な経費や、遠方からの食料輸送の負担が一切なくなりました。
- 辺境の完全な安定:反乱軍は戦わずして孤立し、首謀者が殺害されるなどして乱は自然鎮圧へと向かいました。
- 内政の充実:軍事の負担が減ったことで、国家の財政が潤い、民衆も戦争の動員から解放されました。
言葉の背景 「成績咸熙」というフレーズ自体は、中国の古書『尚書(書経)』にある舜(古代の聖王)の治世を称えた言葉「庶績咸熙(諸々の成果がすべて輝いた)」を踏まえた、非常に格調高い賛辞です。
汗を流して辺境を耕し、戦わずして国を安んじた趙充国の「屯田」という仕事ぶりこそが、まさにこの言葉通り「(成績)」として歴史に刻まれることになりました。
② 『漢書』薛宣伝(せつせんでん)
「職務の成果を計る」という文脈で、前漢時代の役人評定を表した記述。成績ではなく、考績という熟語が使われています。

原文: 「宣,考績功課,在兩府(丞相府・御史府)。」
書き下し文: 宣、績(せき)を考(かんが)え功(こう)を課(か)することは、両府に在り。
意味: 薛宣が(役人の)仕事の成果を評価し、職務の出来栄え(功課)を調べることは、丞相府と御史府(のやり方)にかなっていた。
この記述は『漢書』巻八十三「薛宣朱博伝(せつせん しゅはく でん)」にあるもので、前漢の成帝の時代に御史大夫や丞相(最高位の官職)を務めた薛宣(せつ せん)という人物の、「極めて合理的で緻密な官僚統制(人事評価・労務管理)」の具体例を説明した一節です。
薛宣は法律や行政実務に明るく、地方官(郡太守など)を歴任した際にも、机上の空論ではなく「現場の無駄を省き、効率性を徹底する」ことで絶大な治績を上げました。
③ 『尚書(書経)』舜典(古代の伝説的な考課のルーツ)
周王朝よりさらに古い、中国の人事評定の究極のルーツとされる一節です。周代の「DEAD OR ALIVE」の評価構造とも精神的に地続きのものです。成績ではなく、やはり考績という熟語が使われています。

原文: 「三載考績,三考,黜陟幽明。」
書き下し文: 三載(さんさい)にして績(せき)を考(かんが)え、三考(さんこう)にして、幽(ゆう)を黜(しりぞ)け明(めい)を陟(のぼ)す。
意味: 3年ごとに仕事の成果(績)を評価し、それを3回(計9年)行って、無能な者をクビにし(黜)、優秀な者を昇進させた(陟)。
当時の諸侯や役人たちの仕事は、現代のように事務的なものだけではなく、「国家・領地をいかに豊かにし、民を安んじたか」という総合的な統治能力が問われました。具体的には以下の3点です。
- 治水と開墾(最重要):当時の中国は洪水が多く、農業の安定が命でした。川の氾濫を防ぐ堤防を作り、運河を整備し、田畑をどれだけ広げて穀物の収穫量を増やしたか。
- 徳化(民衆への教化):犯罪や紛争を減らし、道徳や礼儀を民衆に浸透させて、社会の治安を安定させたか。
- 天災や飢饉への危機管理:日照りや洪水が起きた際、備蓄米を適切に配って、領内に餓死者を出さずに乗り切ったか。
なぜ「3年ごと、計9年」なのか?(三載・三考の仕組み)
なぜ1年ごとの使い捨てにせず、わざわざ9年もの歳月をかけたのか。ここには古代東部ユーラシア王朝における、非常に合理的で深い知恵がありました。
- 最初の3年(一考):新任の役人が現地の状況を把握し、インフラ整備(治水など)を計画・着手する期間。まだ目に見える成果は出にくいため、計画の妥当性や本人の取り組み姿勢をチェックします。
- 次の3年(二考・計6年):着手した事業が形になり、収穫量が増えるなど、政策の「具体的な成果」が実際に現れ始める期間。
- 最後の3年(三考・計9年):その成果が一時的な幸運(たまたま豊作だったなど)ではなく、「本当にその役人の実力によるものか」を検証する期間。9年経てば、天災などの不測の事態も一通り経験するため、真の能力が浮き彫りになります。
9年間のデータ(三考)が出揃ったところで、舜は明確な信賞必罰を行いました。
- 幽を黜(しりぞ)く: 「幽(ゆう)」とは、私欲に溺れて政治が不透明な者、暗愚で能力がない者、治水に失敗して民を苦しめた者を指します。これらを容赦なく免職(クビ)にしたり、辺境の地へ左遷しました。
- 明を陟(のぼ)す: 「明(めい)」とは、公明正大で先見の明があり、民を豊かにした優秀な者を指します。これらを中央の要職へ抜擢したり、新たな領地を与えて昇進させました。 (※実際、この制度で大活躍した「禹(う)」という人物は、激しい治水事業を13年間もやり遂げて見事に大出世し、のちに次の皇帝となりました)
後世への影響
この「三載考績、三考、黜陟幽明」という仕組みは、あまりにも見事な人事システムであったため、のちの漢の時代はもちろん、唐の「考課令」や、日本の大宝律令・養老律令における「考課(役人の人事査定)」のベースとなりました。
現代の企業で行われる「中長期的な人事評価(3カ年計画の達成度評価など)」や「MBO(目標管理制度)」の精神は、すでにこの時代の東部ユーラシアにおいて原型が完成していたといえます。

考績と成績の対比
| 項目 | 考績(こうせき) | 成績(せいせき) |
|---|---|---|
| 出典 | 『漢書』薛宣伝 『尚書』書経 | 『南史』呉喜伝 『漢書』叙伝 |
| 主な分野 | 内政・行政・文官 | 軍事・平定・武官(および具体的事業) |
| 評価の対象 | 日常業務の平穏な遂行、勤務態度 | 異民族の撃破、領土拡大、乱の鎮圧、兵站、物量、戦勝、徴税 |
| 性質 | 定期的・継続的(例:3年ごと) | 臨時的・結果主義(プロジェクトの完遂) |
| 目的 | 官僚機構を維持するための「人事査定」 | 国家の危機を救った「論功行賞」 |
| 現代的イメージ | 公務員の「勤務評定」「人事考課」 | 営業の「インセンティブ」弁護士の「成功報酬」 |
成績(軍事的成果・目に見えるリターン)
字義:「成」は「平定する(城を落とす、敵を屈服させる)」や「具現化する」という意味を持ち、武器(戈)と関係の深い文字です。「績」は「軍事的成果」を指します。
ニュアンス:文字通り「功績を成立させる(完遂する)」ことです。
特徴:平時のルーティンワークではなく、戦争の勝利、敵の斬首数、領土の獲得、反乱の鎮圧といった、「一発で状況をひっくり返すような具体的・物理的なリターン」に対して使われます。
古代の社会構造から見る「成績」の軍事性
なぜ古代において「成績」が軍事と結びつきやすいのか。それは秦・漢代の「軍功爵制(ぐんこうしゃくせい)」という社会システムが背景にあるからです。
秦の商鞅(しょうおう)の変法と軍功爵
古代中国(特に秦)では、戦場で敵の首をいくつ取ったか(斬首数)によって、平民でも爵位が上がり、土地や奴隷がもらえるシステムが徹底されていました。
このシステムにおいて、戦功を「検証し、確定させること」を「計功(けいこう)」や「成績」と呼びました。
軍事的な成果は、内政の「真面目に働いているか」という曖昧な評価とは違い、「敵の首の数」「落とした城の数」という極めて明確な数値・戦果(=成し遂げた績)として現れるためです。
キシリア・ザビのいう「話は信じるが、戦果だけが問題なのでな」の「話」とは学生の救国の志で、「数値・戦果」とは学徒動員のゲルググ・リック=ドム操縦士による敵撃滅の数です。

『漢書』趙充国伝の例(「考功廩祿,成績咸熙」)でも、内政的な「考功(功を考査して給与を計算する)」というプロセスを経て、結果として現れた「辺境の軍事的安定・屯田の成功」という物理的リターンを「成績」と表現しています。

成績は意思の阻害が目的の言葉だった
ここまで長々と記述してきましたが、まだ謎が残ります。周王朝のDEAD OR ALIVE の評価構造と、後世の官吏登用試験や、科挙制度のAll or Nothingの評価が、その過酷さ等において余りに酷似しているため、いつしか学業や試験の評価に成績の文字が使われるようになった…と思われますが、思われますの表現の通り、これは推測に過ぎません。古代の成績(ALIVE)が、試験の成績(score)に使われるようになった過程が不明で、資料も見つけることができませんでした。
「成績」という漢字熟語・言葉が「命がけの官吏の仕事の成果・評価」という意味で実務的に使われていたこと自体は史実です。しかし、周王朝から漢代魏晋南北朝期を経て、それが隋唐王朝以降の後世(科挙や現代の試験)になって「点数(Score)」という意味に収斂されていくプロセスにおいては、文字通りの意味(麻の糸を紡ぐ=績)からは、あまりにも飛躍しています。
直接的な証拠はありませんが、状況証拠的に、科挙以降に成績は、ALIVE を意味する隠語として、内々に使われたのと考えるのが自然ではないでしょうか。通常は王朝滅亡と共に、成績も死語になる筈です。どこかの誰かが拾って再生したのです。そのように仮定すれば、成績がこれだけ理解するのに何枚も何枚もベールを剥いでいかなければ辿り着けない理由も納得することができます。隠語ですから意思の疎通ではなく意思の阻害が必要で、意味不明な文字「糸」で表すことは、むしろ必然だった…現代日本でも中学受験に関する隠語はたくさんあります。
逆比 なぜ比が逆になるのかという過程をすっ飛ばし、結果のみを取り上げて強調するための用語。
コアプラス サピックスの理科、社会の教材。
カリテ カリキュラムテストの前は借りてきた猫のようになっている現象。
お客さん 上位クラス以外の、ただ通っている(ように見える)生徒。
お地蔵さん 講義中、理解できずに固まっている(ように見える)状態。
GS特訓 ゴールデンウィークサピックスの略。 朝の9時から夕方の5時まで授業を行う。休憩時間は30分。
島津パパ 漫画『二月の勝者』に登場する島津家のように振る舞う父の事。
ある高専でも、成績に関する隠語が、勉強会で飛び交います。(元ネタは、るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-のようです)
破壊神 クラストップ
十賢 上から10番以内
十本刀 下から10番以内
守護神 クラス最下位
絶対的破壊神、永遠の破壊神 常に成績トップを取り続ける生徒
https://kosen-sei.site/score/
第100代内閣総理大臣の母校ではクラス最下位をとった生徒のことをアーサー王伝説(聖剣エクスカリバーを抜くほどの力があるのに、肝心なところで失敗する伝説の王)になぞらえてアーサー。成績がクラスで下から2~13番目は円卓の騎士(アーサー王の側近12名に準えて)と呼ぶようです。今成績が悪くても、地力があることは認めており、「剣よりペンの方が強い」と笑いに変えているのです。

まさか成績は大昔の冗句(joke)だった?
このように受験生、関係者は受験関係用語、隠語を使うのが好きです。隠語って若干笑ってしまいますね。ブラックなスパイスも欠かせません。隠語には短縮・隠蔽・親和・集団帰属意識強化の他に、試験の精神的重圧・漠然とした未来への不安を、少しでも笑って中和させる精神安定的作用が若干あります。古代の受験生たちも同様に、その過酷さ故に成績や敗績という周時代にはDEAD OR ALIVEを意味していた物騒な言葉を比喩的かつ自虐的に使い、そして言葉の裏側の笑えない部分をしみじみと噛み締めたのでしょう。

試験というものは受験人口の増加や、受験生側の対策が進むことで更に難化します。当初は隠語だったものが試験が難化するにつれ試験関係用語になっていったのでしょう。1970年代の日本にも受験地獄という受験用語があったといいます。実際に阿鼻地獄や叫喚地獄に落ちるわけではありませんが、競争率の激化によって受験生にとっては人生を賭した厳しい状況になっていったと。ほんの50年前のことですが全入学時代になった令和の日本では実感としては分からないものがあります。
この記事では、成績は古代の受験生・関係者の隠語・用語が一般化し、現代まで生き延びた、例外中の例外ともいえる言葉と結論付けます。当時の特殊な比喩表現ですから、現代人には余計に理解することが困難で意味不明です。50年前の日本の感覚ですら理解が難しいというのに、まさか数千年前の東部ユーラシア大陸のブラックジョークの感覚まで感知しないといけないとは(^_^;)
◎漢字「成績」を理解する為に必要な一般知識等
・地理・歴史・気象
・生物・軍事・政治
・経済・税制・農業
・経営管理・立柱祭祀・地政学・SNS
・古代のジョーク←NEW!!
ユーラシア大陸との、適切な距離感
成績は約3000年の時空を超えた、人々の歴史、栄枯盛衰、生きる厳しさ、紙一重の差、時の運、受験生の悲喜、不条理の世界…といったものが現代にまで伝わり、そしてひとつに繋がる、ながい長い物語といえるのではないでしょうか。
「地名はその土地の記憶」といいます。地名に記憶が刻まれているなら、漢字にもその歴史の記憶が刻まれているに違いありません。漢字の由来をひも解けば、大陸の厳しい現実を生き延び、巨大プロジェクトを成功させてきた大陸の人々の思いが甦ります。同時に大陸文化や漢字等の良いものだけを抽出し取り入れ、「バトルロワイアル・残虐な風習・恐ろしい漢字の由来」を拒絶してきた我が国のご先祖様の取捨選択の知恵にも頭が下がります。古代から受け継がれた人々の営み、伝統文化、歴史を映し出す言葉もまた、かけがえのない未来への遺産と思います。
白川博士の故郷、福井県小学校の古代文字の授業において、泣き出してしまう子がいるといいます。自身の名前の文字の由来が恐ろしい事を知ってそうなる子が稀にいるそうです。泣く必要はまったくないのです。なぜなら日本の漢字は残虐さの欠片も無い誇り高き日本の文字であって、磨き上げられた日本語そのものなのです。(日本人の良いとこ取りの精神。大陸の悪いものは取り入れない精神)古の菅原道真公の遣唐使廃止をけじめとして、大陸の残酷な文化風習刑罰とは訣別しているのが日本です。道真に聞いても「泣く必要は無い」とキッパリ答えることでしょう。

まとめ(なぜ成績は績なのか?)
①3000年前の国際通貨は宝貝だった。※アンダーソン (J. G. Andersson) 松崎寿和訳『黄土地帯』1987, 六興出版
②金文によれば、周王朝はa.財貨、b.諸侯に下賜する賞賜、c.呪術的装飾品、d.遠くは印度との交易(後のシルクロード交易の原型は既にあり、殷ー天山山脈交易路ーオクサスーインドルートは開かれていた)の媒介等ために、宝貝が必要だった。
③国際的に競争力のある高品質の絹織物を輸出し、東南アジアから宝貝を輸入した。※後の漢代以降、絹織物(シルク)はシルクロードを通じてユーラシア全域に伝わった。
④より多くの宝貝を得るため、周王は周辺諸国を攻め、華表を立て、蚕糸織布他を賦貢として取り立てることを、配下の軍士たちに命じた。
⑤やがて織布の賦貢を表すために、甲骨文字の時代には無かった績という漢字が新たに作られた。
⑥績の納入が規定に達することを成績といい、達しないことを不績といった。
⑦魏晋南北朝時代までは軍事用語として使われた成績は、軍士たちに課せられた重責を意味するものだった。その失敗を敗績といい、敗績は全てが終わることを意味した。
⑧このDEAD OR ALIVE の評価構造と、後世の官吏登用試験(科挙制度)のAll or Nothingの評価が、その過酷さ等において余りに酷似しているため、いつしか学業や試験の評価に成績が隠語・試験関係用語がブラックジョークとして比喩的に使われるようになった。
⑨用語が浸透し、ジョークの要素が薄れ往き、一般語になった成績は、浸透の仮定で、周の時代の成績・不績・敗績、全ての意味が、成績に収斂されるが、難関試験の9割以上が不合格になることを考えると、敗績の隠された存在感が内実として大きい。
⑩古代と現代の成績で決定的な相違点。古代の敗績に命の保証は無かったが、現代の試験は不合格でも命まで取られることはない。


